大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸地方裁判所尼崎支部 昭和44年(ワ)253号 判決

原告 中野進

原告 中野道子

右両名訴訟代理人弁護士 荒木宏

同 平山正和

同 川西譲

同 米田軍平

右訴訟復代理人弁護士 大江洋一

被告 尼崎市

右代表者市長 篠田隆義

右訴訟代理人弁護士 大白慎三

同 大白勝

同 大藤潔夫

右訴訟復代理人弁護士 井上史郎

主文

被告は原告両名に対し各金六一九、七九六円宛およびこれらに対する昭和四四年五月一三日以降完済するまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求をそれぞれ棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その二を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

この判決は第一項に限り仮に執行できる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

(一)  被告は原告らに対しそれぞれ金二、八〇五、三〇四円および

(1) 内金二、一七一、五八四円に対する昭和四四年五月一三日以降

(2) 残金六三三、七二〇円に対する昭和四八年二月一三日以降

いずれも完済まで年五分の割合による金員を支払え、

(二)  訴訟費用は被告の負担とする、

との判決ならびに仮執行の宣言。

二  被告

(一)  原告らの請求を棄却する、

(二)  訴訟費用は原告らの負担とする、

との判決。

第二請求の原因

一  原告中野進は佐官業であり、原告中野道子はその妻である。原告らは昭和四三年一〇月一日以降尼崎市水堂鳥場の某建設飯場に居住していた。

原告らの長女あゆみ(昭和四一年五月三日生)は、それから約二ヵ月後の昭和四三年一一月二六日午後三時四〇分頃、尼崎市水堂字神楽田に在る同市立立花西小学校構内の南東隅に設けられたプールのサイドで他の幼児と遊んでいるうちに、同プールに落込んで溺死した。

二  右プールは、縦二五メートル、横一〇メートルの広さで、当時殆んど満水の状態に貯水され、水深は約一メートルであった。

右プール施設(プールサイド、周囲の金網柵、出入口の扉等を含む)には、その設置管理に次の瑕疵がある。

(一)  プールサイドは校庭より高くなっており、その周囲には高い金網の柵が設けられている。校庭からプールサイドへ通じる出入口(プールの西北部)には、鉄パイプ製の扉(鉄パイプ数本が縦に並んでいる扉)が取付けられているけれども、その鉄パイプ相互の間隔が一六センチメートルもあるため、幼児にとっては扉の用をなさず、自由に出入を許しているのと同様であった。なお、尼崎市内の他の学校プールに取付けられている鉄パイプ製の扉の場合は、鉄パイプ相互の間隔が狭く約一二センチメートルである。

(二)  プールに水を漲った場合には、危険防止のため管理者において、プール施設に対する監視を続ける義務があるにも拘らず、本件の場合なんらの措置もとられていなかった。

三  右の両瑕疵があったため、被害者あゆみは、他の幼児と共に右扉の鉄パイプの間をすり抜けてプールサイドを上り、まもなくプールへ転落して溺死したものである。

ところで、右プール施設は、被告が設置しかつ管理している公の営造物であるため、被告は、その瑕疵から生じた本件水死事故にもとづく損害につき、すべてこれを賠償すべき責がある。

四  右死亡事故により

(一)  亡あゆみは、成人の後就労して収入を挙げ得る機会を失った。もし、本件事故に遭うことがなければ満一八年に達してから六三年に達するまでの四五年間就労が可能であり、その間毎年四四九、五〇〇円の収入(年間賞与八九、五〇〇円を含む)を挙げ得た筈であるにも拘らずこの将来利益を喪失した。同収入の半額を生活費に消費するものとして、この逸失利益の現価を算出すると三、六一〇、六〇八円である。なお、右年収額は昭和四三年度賃金センサスにおける全女子労働者の平均給与により算出した。

また、同被害者は、本件事故により著しい精神的苦痛を蒙ったところ、これを金銭で償う場合の慰藉料は金一〇〇万円である。

(二)  原告らは、一人娘である被害者あゆみを失いその精神的苦痛はまことに甚大である。これを金銭で償う場合の慰藉料はそれぞれ金五〇万円である。

五  よって、亡あゆみの両親としてそれぞれ遺産の二分の一相当の金二、三〇五、三〇四円を相続した原告らは、被告に対し、近親者の慰藉料を加えた各金二、八〇五、三〇四円および

(一)  内金二、一七一、五八四円に対する訴状送達の翌日の昭和四四年五月一三日以降

(二)  残金六三三、七二〇円に対する請求の趣旨変更申立書送達の翌日の昭和四八年二月一三日以降

それぞれ完済まで民事法定遅延損害金の支払を求める。

六  なお、原告らに、被害者に対する監護義務の懈怠はない。当時、原告らは、本件学校に近くその校庭を見通せる位置に居住していた。そのため原告道子は、小学校々庭こそ他の場所に比較すれば安全であると考え、被害者が同校庭で遊ぶことに別段不安を感じなかったのである。その当時、この附近には公園その他の遊び場所がなかったことでもあり、いわゆる被害者側に過失はない。

第三答弁・抗弁

一  請求原因事実中、次の事実は認める。

(一)  原告らの身分関係と長女あゆみの年令、同女が原告ら主張の日時に、主張どおり遊んでいるうちに主張のプールに落ち込んで溺死したこと、

(二)  右プールの縦・横の長さ、深さ、および事故当時の水深が原告ら主張のとおりであること、

プールサイドの高さ、その周囲の柵、および校庭からプールサイドに通じる鉄パイプ製の扉の構造が原告ら主張のとおりであること、

(三)  前示プール施設が、原告ら主張どおりの営造物であること、はいずれも認める。その余の原告ら主張事実は争う。

二  本件の立花西小学校は昭和四二年四月一日新設され、同年七月五日本件プールも完成したところ、その設置・管理に瑕疵がないことは次のとおりである。

(一)  このプールは学童に対する教育施設として地上高二メートルに設置され、その周囲には金網柵が、また出入口には原告らの主張の扉がそれぞれ設けられ、学童を保護しているので何ら危険はなく、教育施設としては完壁である。本件被害者のような幼児が右扉の鉄パイプの間をすり抜けてプールサイドに上るということは、極めて稀有のことであり、被告としては、全く予見できなかったものであるから、右扉の構造をもって本件プール施設に瑕疵があると断ずることは相当でない。

(二)  シーズン外でもプール槽の保存上これに注水することが必要であり、またひん発する学校火災に備えるためにも貯水を続ける必要があるところ、本件プール施設の出入口はふだん扉をしめて施錠し、人の出入りを禁止して危険を防止しているので、それが満水の状態である場合にも、殊更「監視」を続けなければならぬという義務はない。したがって、管理保存について瑕疵はない。

三  仮に、設置管理に何らかの瑕疵があったとしても、その程度は極めて軽微であるのに対し、本件事故についてのいわゆる被害者側の過失はまことに重大である。なるほど学校施設は、授業のため登校する学童のために安全確保を尽すのが通常であり、したがって、学童にとっては安全施設であるけれども、保護者もなく構内に侵入した幼児にとっては安全でなく、むしろ危険な施設であるとさえ言えなくはない。しかるに、保護者である原告らは、被害者あゆみを放任し、同女をして学校構内へ侵入させ、更に立入禁止が明示されている危険なプールサイドへの侵入を事実上許したのであるから、本件事故発生の責任の大半は原告らが負うべきである。よって、被告は、本件損害額の算定については大巾な過失相殺を主張する。

四  原告ら主張の逸失利益は、過大に失する。

(一)  幼児の逸失利益は、一般に算定できないものである。

(二)  また、女児は、将来結婚して家庭に入るであろうから、その後は利益逸失が発生する余地がない。

(三)  もし、逸失利益を認めるとしても、その予測収入額については、いわゆる昇給を考慮してはならない。すなわち、全女子労働者の平均賃金によるべきではなく、その「初任給平均賃金」のみによるべきである。

(四)  右逸失利益を算定する場合には、幼児が将来稼働するまでの間のいわゆる養育費を控除するのが衡平でありかつ正当でる。この養育費の支出がなされて始めて将来の就労すなわち収入が可能になるのであるから、原告らが養育費支出を免れた上さらに被害者の逸失利益全額を取得することは、いわゆる利得の二重どりであり、とうてい許さるべきことではない。このことは次の諸判例も等しく明言するところである。東京地裁昭和四四年二月二四日、大阪地裁同年四月二八日、福岡地裁昭和四六年一一月三〇日。

第四証拠≪省略≫

理由

一  争いのない事実

(一)  被告が設置管理している立花西小学校(尼崎市水堂字神楽田)の構内の南東隅に、原告ら主張の営造物であるプールが設けられていること。

(二)  右プールは、校庭から高い位置に設置され、縦二五メートル横一〇メートルの広さで、水深は一メートルであること。プールサイドの周囲には高い金網の柵が設けられており、校庭からプールサイドへ通じる出入口(プールの西北部)には原告ら主張の鉄パイプ製の扉が取付けられているところ、同パイプ相互の間隔は一六センチメートルであること。

(三)  右プールが満水の状態であった昭和四三年一一月二六日午後三時四〇分頃、原告ら夫婦の長女あゆみ(昭和四一年五月三日生)は、他の子供と共に前示学校へ遊びに行き、前示扉の鉄パイプの間をすり抜けてプールサイドへ上り遊んでいるうち、プールに落ち込んでまもなく溺死したこと、はいずれも当事者間に争いがない。

二  プールの設置管理の瑕疵(賠償責任)について

(一)  小学校の校庭は、通常の場合、その管理者の意思とは関係なく、附近に居住する一部の幼児の「遊び場」として事実上利用される可能性が極めて強いこと公知である。したがって、小学校々庭に設けられるプールは、特段の事情がない限り、学童の安全を確保するだけでは足りず、同校庭へ遊びに来ることが予想されるすべての幼児の安全をも保障し得るよう設置管理されなければならないものと解される。

ところで、検証の結果および弁論の全趣旨によると、本件プールサイドへの出入口(プールの西北部)に取付けられた原告主張の扉は、扉それ自体に縦約八〇センチメートル、横約一六センチメートルの長方形のすき間が数個もあることが認定できる。したがって、この扉は、右すき間をすり抜けることが可能な幼児に対しては、プールサイドへの出入りを阻止する役目を果しておらず、事実上つねに同プールを解放しているに等しい結果を招いている。そのため、同プールは、幼児に対する関係では未だ安全確保措置を尽しているとは言えず、軽微であるとは言えその設置に瑕疵があるものと認めるのほかはない。

(一)  ところで、公の営造物の設置に何らかの瑕疵があり、それが原因で損害を生じた場合、それを設置した公共団体は、同損害を賠償すべき義務がある。したがって、公共団体である被告は自己が設置した営造物すなわち前示プールの瑕疵に基因して発生した本件溺死事故につき、その賠償責任を免れることができない。

三  過失相殺について

本件プールには前示認定の瑕疵があるけれども、同プール本来の設置目的である「学童の教育施設」という点からみれば、同瑕疵は、未だその設置目的を阻害することのない極めて軽微な瑕疵にすぎないと解される。これに対し、原告らが、その長女である僅か二才半の被害者を前示の危険なプール施設のある小学校々庭へ、しかも監護者を付けることなく遊びに行かせて放任したことは、まことに重大な過失であるといわねばならない。すなわち、本件事故の発生は、プール施設の設置に見られる前示の軽微な瑕疵と、危険施設(プール)の附近に二才半の被害者を監護者も付けずに放任した監護義務者(原告ら)の重大な過失との競合によるものである。なお、原告中野道子本人尋問の結果によると、同原告は「学校の校庭には塀があるので、プールがあることは知らなかった。金網でかこまれた四角の高い場所があるのは知っていたが、それはテニスコートか何かだと思っていた」ことが認められる。けれども、幼児の監護義務者としては、その幼児の「遊び場」について、いわゆる安全確保のため、危険物件の有無につき、まず充分の調査をなすべき義務があると解されるから、同原告がこの調査を怠り、「プール」を「テニスコート」と誤解したことは、これまた著しい監護義務の懈怠であると解される。

ところで、幼児とその両親は、身分上ないし生活関係上、いわゆる一体をなすものと解されるから、被害者(幼児)の両親(監護義務者)に過失がある場合には、これを被害者側の過失として、いわゆる過失相殺をなすのが相当であること異論はない。したがって、本件の場合、過失相殺をなすべき必要があるところ、被害者側の過失(原告らの監護義務懈怠)の程度が重大であるのに対し、プール設置の瑕疵が軽微であることは前示認定のとおりであるから、これらの事情を綜合して、いわゆる被害者側の過失を七割五分と解し、被告の賠償すべき損害額を算定するのが正当であると判断する。

四  損害額について

(一)  逸失利益

(1)  女児も成人すれば労働力を有し、何らかの価値ある仕事に従事する。被害者あゆみにおいても、もし本件事故に遭わなかったとすれば、特段の事由がない限り、一八才から六三才に達するまでの四五年間、稼働して、通常の女子労働者と同等の収入を挙げることができ得た筈である。

(2)  ≪証拠省略≫によると、昭和四三年における全女子労働者の平均賃金収入は、年間賞与五八、七〇〇円を加え年額三六八、三〇〇円(月収二五、八〇〇円但し賞与を除く)であることが認定できる。これに反する原告ら主張の収入額は大企業のみの労働者の平均給与であり、採用できない。

したがって、被害者あゆみも四五年間右同額の収入を得、その半額を生活費に消費し、残半額の純収入を得ることが可能であった旨推認できる。この純収入は、被害者あゆみが本件事故のため取得することができなくなった将来利益の損害、すなわち逸失利益である。

この逸失利益の事故当時における現価を、ホフマン方式(単利)により年利率五分として算出すると、次のとおり二、九五八、三六九円である。

① 二才の就労可能年数 六一年間

このホフマン係数 二七・六〇一

② 一八才までの養育年数 一六年間

このホフマン係数 一一・五三六三

③ 就労可能期間のホフマン係数 一六・〇六五

(27.601-11.536=16.065)

④ 純収入年額 一八四、一五〇円

(368.300円÷2=184,150円)

⑤ 現価(逸失利益) 二、九五八、三六九円

(184,150円×16.065=2,958,369円)

(3)  養育費控除の適否

被告は、右逸失利益から原告らが支出を免れた一六年間のいわゆる養育費を控除するのが衡平の原則に合致する旨主張する。

一般に、未成年者も中学生・高校生(進学希望者を除く)ともなれば、家事を手伝ったりアルバイトをする例が多いこと公知であるから、本件のような場合、扶養義務者は、実質的に見て、さして多額の養育費支出を要するものではないと思われる。ところで、通常の場合、もし未成年者が死亡したとすればその扶養義務者(主として両親である)の多数は、従前から給与を受けていた扶養家族手当を直ちに失うし、また所得税・住民税の扶養控除を受ける権利を失うという不利益をも強いられる。また、子供の冥福を祈って仏事等に多額の支出をしたり、あるいは悲惨な事故を忘れようとして無用の支出を繰返し、結局、免れた養育費と同程度あるいはそれ以上の財産上の不利益を蒙る扶養義務者もすくなくはない。換言すると、その幼児が特に多額の養育費を要したという特別の事情がある場合は別として、通常の場合においては、幼児の死亡によりその扶養義務者は、養育費の支出を免れはするけれども、反面において、前示のように利益を失いあるいは不利益を蒙り、いわゆる養育費に匹敵するような損害を強いられることもある。したがって、右養育費の支出を免れたことをもって直ちにこれを不当利得と同様に理解し、同利得を不法行為者のみに取得させようと図ることは、相当でない。本件の場合においても、被害者あゆみの養育費が特に多額であることを認める資料はないので、被告主張の養育費を前示逸失利益から控除することは、不法行為者の保護に厚く、未だ衡平の原則に合致するものではないと解される。これに反する被告の主張は採用できない。

(4)  前示(2)の逸失利益二、九五八、三六九円について、前示過失割合(被害者側の過失七割五分)により相殺すると、被告において賠償を要する額はそのうち七三九、五九二円(逸失利益の二割五分)である。

(二)  被害者の慰藉料

被害者あゆみは、晩秋の一一月下旬に、プールに落込んで溺死したのであるから、著しい恐怖と苦痛の中で死亡したことが推認できる。その蒙った精神的損害を金銭により評価するとすれば原告ら主張のとおり一〇〇万円が相当である。

これを前同様に過失相殺すると、その二割五分相当の二五万円が、被告において賠償を要する慰藉料である。

(三)  近親者の慰藉料

≪証拠省略≫によると、被害者の両親である原告らは、不測の本件事故により最愛の長女を喪い、著しい悲痛すなわち精神的損害を蒙ったことが明らかであるところ、これを金銭に評価した場合の慰藉料は、原告ら主張のとおり各五〇万円とするのが相当である。これについて、前同様の過失相殺をすると、その二割五分に相当する各一二五、〇〇〇円(計二五万円)が、被告において賠償を要する慰藉料である。

(四)  相続

争いのない身分関係によると、原告らは、二才半の被害者の両親であり、平等に相続権を有するから前示(一)の逸失利益七三九、五九二円、および(二)の被害者の慰藉料二五万円の各半額、すなわち各四九四、七九六円の損害賠償債権を、それぞれ相続取得していること疑いはない。

(五)  各自の債権額

原告らは、右(四)の相続債権のほかに、前示(三)の固有の慰藉料、各一二五、〇〇〇円を有するので、原告らが被告に対して有する本件損害賠償債権はそれぞれ六一九、七九六円である。

四  結語

よって、原告らの本訴請求中、公の営造物の瑕疵ある設置者と認められる被告に対し、それぞれ六一九、七九六円およびこれに対する訴状送達の翌日であること明らかな昭和四四年五月一三日以降完済まで民事法定遅延損害金の支払を求める部分を正当として認容し、その余の請求部分をいずれも失当として棄却すべく、訴訟費用の負担については民訴八九条九二条九三条、仮執行の宣言については同一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山田義康)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例